お気楽ご気楽ザキブログ
どーも、ザキです。
今回は前フリ無しで、後編へ。
残り3ヶ月 引き継ぎしながら働いて終わりにしましょーねーって
誓約書書いてから普通に過ごしてその最終日。
恐怖の『山崎ミーティング』が始まりました。
メンバーは、
ザキ入社後やめた店長のあと就任した二代目店長、自分、アシスタント二人、ボス。
時間は仕事終わりの22時くらいだったかな。
まずはボスからの先制攻撃。
3ヶ月前の誓約書を 全員の前で
ビリビリーっとね。
上手に破くよねー。
破き慣れてたのかしら。
で、
『山崎が辞めないと言うまで一人も帰さないからお前らで話し合え!!』
ってさ。
話し合うも何もボス以外全員味方ですからー。
で、
時間の経過とともに、
アシスタントたちは 終電&体調不良(そらなるわ)で帰されて、
店長とボスとわたし。
三者面談アゲイン。
おーまいが。
で、
せっかくなので、前回隠してた残り半分の言いたいことも全部言ってみた。
そしたら胸ぐらつかまれました。
今まで辞めていった人たち
みーんな言いたいこと言わずに辞めてたから
ボスもびっくりしたでしょーね。
あんなに否定されたの始めてだったのかな。
めちゃくちゃ恐かったけど、
言いたいことはぜーんぶ言ってやった。
でも別にスッキリしたとかはなかったな。
ザキしゃべる
↓
ボスきれる
↓
沈黙
↓
店長説得のフリ
↓
ボスなんか言う
↓
ザキしゃべる
↓
ボスきれる
これを始発まで繰り返してましたね。
で、朝の5時くらいにお開き。
『明日また来いよ!続きがあるからな!』
って、んなもん
行くわけあるか、ボケ!
で、
帰りの電車の中で
なんの感情かわからん涙出てました 。
ほぼ怒り。
何もできなかった悔しさ。
まだ辞められない仲間たちへの申し訳なさ。
自分の弱さ。
疲れ。
戦い終わりの解放感&脱力感。
などなど全部乗せだったのかな。
この経験で学んで、
今も絶対に揺るがない想いは、
去るものは追わない。
辞めようとする人を止めない。
で
辞めたいって言わせてしまった時点で試合終了。
最低限のマナーを守ってもらえれば、
指名のお客様にも好きに連絡してもらっていいし、
辞めるまでの期間も自分で決めてもらっていい。
美容師辞めるときあるあるですが、
半径◯km 以内に出店禁止、
スタッフ引き抜く&顧客連れてったら訴える
とか、そんなん何故ゆえにやるのか理解不能です。
そもそも顧客連れてくも何も選ぶ権利はお客様にありますからー。
でもそーゆーオーナーさんいまだにそこらじゅうにいます。
そろそろこーゆーパターン終わりにしませんかね。。。
その辺の怒りは一回置いといて、
次の日から高知への完全撤収の準備して、
とっとと帰りました。
気付けば18歳(高卒)で上京して、
2年間 専門学校、
そのまま就職して3年、
その後ロンドン1年、
からの無給1年半と無休1年半くらい、
で、
トータル9年。
両親との時間はほぼ取れてなかったことに気付いて、
一度高知に帰ってしばらく動かずに考えてみようと思いました。
この先のことを。
高知で美容師をやるのもよし、
また東京に戻るのもよし。
ロンドン時代に一度美容師を辞めてたので、
美容師以外の仕事をするって選択肢はもはや無かったかな。
美容師をどこでどういう形でやるか。
そしてどんな店をどこに出すか。
てことで、まずは、
高知でニート3か月やりました。
ニートという名の 親孝行 ってことで 笑
今思えばもう少し休んでもよかったかなとか、、、
この年になって振り返れば
長い人生 ニート期間が数年あろうともなんら問題ない。
むしろプラスになる可能性もあると思う。
でもお金は日々無くなっていくし、
最初は珍しがって相手してくれてた仲間たちも日常に戻り、
気がつけば
サッカーボールと親だけがちょいちょい相手してくれたくらいで
無限に時間がある状態。
やはり期間が決まってるからこそのバカンス。
てことで、
今回はブログ最長記録出ました。
この続き書いてたら止まらないので
改めてまたいつか、
ニート時代 何考えて何してたかを記録に残したいと思います。
色んな美容師さんが世の中にはいると思いますが、
自分は
・給料を満足にもらえなかったことがある
・ブラックで働いたことがある、
・ニートしてたことがある
人達の気持ちがいたいほどわかる美容師
ザキです。
またまた、最後までお読み頂きありがとうございます。
see ya! !