お気楽ご気楽ザキブログ
どーも、ザキです。
先日、よくカットしに来てくれる小学校からの同級生と
リベロ近くで呑みました。
そして熱く語りました。
政治、行政の話から始まり、馬鹿話。
からの、お決まりの昔話、将来の話、馬鹿話。
いつものように。
で、ほとんど記憶にございません。
忘れられないのは 1つだけ。
『ぴえん。』
今時の人たちが使うやつ。
で、その先があるって。
『ぱおん』。。。
ほんまか!?
もはや何でもありな若者たちです。
さて、キレイにすべったところで、
今回のテーマは
『無給美容師時代』です。
あなたは信じられますか?
働いても給料がもらえないという世界があることを。
25歳くらいのとき、
ロンドン留学が終わり、帰国してから、
東京でまた美容師をやりたかったので
改めて就活して、
中目黒の小さなサロンがその時の理想に近くて
そこの面接を受けました。
オーナー店長さんも
ロンドンに短期で行ってたことがあるようだったし、
なんとなく素敵な雰囲気だったので、
そこに決めました。
そして、採用が決まり、働き始めて半年後くらいかな。
お給料は元々手渡しでしたが、
給料日の営業後 いつものように、
「おつかれさま」
と封筒を渡されたんですが、圧倒的に薄い。
もはや封筒いらないんじゃないか!?
ってレベル。。。
そして一言、
「これでとりあえずやってみて、無くなったら教えて!」
って。
いやいや、そんなん、
これで何やれるん??って。
家賃も何も払えんし、
なんならある意味もらった瞬間に無くなってますけど。って思いました。
でもそんなことは当然言えません。
24,5歳の小僧が 一回りくらいも上の店長に言えるわけないですね。
何回か呑みにも連れてってもらい、
営業後にカット技術教えてもらったり、
奥様とお子さま二人とワンちゃんとからんだりしてたので、
『情』もあるし。。。
1、2ヶ月目とかなら ヤバイ店だなと思って
サクッと辞めてたかもしれないですが、
半年も経ってるとなんだか。
で、「頑張ります!」と言いながら受けとる自分。
その日から貰うはずの給料との差額を
手帳にメモし続けることを
頑張る自分。
今なら自分も美容室を経営してるので
もはやたいていの事はわかります。
オーナー店長さん。
完全に家にお金放り込みすぎです。
会社(店)と個人(家)、利益分は法人化してなければ尚更、
自由にやりくりできます。
利益が出ていれば、、、
当然自由に決めてもらっていいんです。
オーナーが全責任を負って&借入して店を出したんだから。
当然その責任はお店が続く限り、オーナーをやめない限り続くし。
しかーし。
給料や報酬は払わないとダメよ。
それが出来てないのに
奥様ブランドまみれ&ワンちゃん飼ってちゃダメでしょ。
ワンちゃんも家族も何も悪くないんですが。
店長、ちゃんとして。
払うものちゃんと払ってから好きにして。
そんなこんなで、
給料お小遣い制 になってから1年くらい粘りました。
周りの方々の支えにより、ギリギリ暮らせてました。
人間追い込まれると、割りと何でもなんとかするんですね。
その頃の暮らしを経験してるので、
お金が無い暮らしとはどーゆーことか、
を、ある程度知れました。
というより、忘れられない。
でも限界はやってきて、そのお店は卒業しました。
最後の最後まで大変でしたが。。。
その店から学んで、
自分が店を出すときに誓ったことは、
『スタッフの給料払えないなら店たたむ。』
です。
どんな状況であろうとも
働いた分はキッチリと!
当たり前のことですが、
当たり前じゃない状況を経験したので、
世の中の美容室オーナーさんで、
給料小遣い制 を経験してない人より、
この誓いは強いです。
てか、給料小遣い制って何なん!?
自分で勝手にそう名付けたんですけどね(T_T)
で、このお店を卒業したあとは
絶対にちゃんとお給料をもらいたかったので、
めっちゃ警戒しながら次の店を探して、
すぐに働き始めることができました。
次の店はちゃんと給料もらえました。
でも今度は スーパーブラックで、
朝から終電まで働かされたり、
数字(売上げ)のノルマごりごりに設定されたり、
毎日営業後に意味の無いミーティングさせられたり。
これだけだと
美容室ではよくある感じなんですが。
そーじゃなかったんですわ、、、
そんなこんなで、
今度は『無休美容師時代』が始まりましたとさ。
その話も長ーくなりそうなので、また改めて近いうちに。
なんか 『本当にあった怖い話』みたいやな。
今回も、最後までお読み頂きありがとうございました!
see ya!!